ダンス昔話・・・その7
その後、5~6年お世話になったサークルへ入会。
行きたくなったら行けば良い、そう言うシステムで運営のサークル。
入ったばかりの時に、
年1回のパーティで発表の為に、ルンバを全員でレッスン。
後半の1時間はワルツ、新参者のアル星はルンバにて出場。
ベテランさん達はスローフォックストロット。
でもですね、このルンバ見よう見まねで踊っていましたので・・・自信がない。
ここのレッスンは、1年掛けて各1種目をレッスンする。
そして、練習風景をパーティで発表のシステム。
それこそ細かくレッスンしてくれました。
凄く有り難かったです。
が、ルンバの音の取り方が、解らない。
いったん出れば解るが、出るタイミングが解らない。
ポイズの姿勢から、
動き出すタイミングが解らない。
<今思えば考えることもなく自然に出られるが、その頃は考えすぎていたのかも知れない>
4で右手出すのか?
1で出せば良いのか?
解らないまま本番当日。
人の真似して適当に出ればイイヤ! 内心簡単に考えていた。
それが甘かった。
K&Y選手会の方達が友情出演で10組以上もリボンさんで、来ていた。
初めての参加で・・・知らなかった?。
本番が始まった。
整列して会場に入場。
「おとーさん・お父さん!。先生のお父さん」
凄い声援の荒らし。
そうです、選手会の方達の応援。
内心やばくなっていました。
出だしの音の取り方が解らないままの出場で、
まさか皆さんがいるとは思ってもいなかったし・・・。
『適当に誤魔化そうが、ちゃんとやらねば』
に・・・なったのはいいが、
ちゃんとが解らない。
パニクるという事始めて知りました。
今考えれば、
いいとこ見せよう、格好良くやらねば、上手いと思われたい、
実力以上のことやろうとするから、上がりもするしパニックにもなる。
練習以上のこと出来るはず無いのに・・・・ね。
いざ、行進して止まり、アル星が床を足で叩いて音を出し、整列。
ここまでは完璧でした。
が、その後の音楽が聞こえていませんでした。
何時始まったのかも解らずに、
スタートの音取りなんて問題外、いつの間にか終わりました。
尚更ラテンアメリカンが嫌いになりました。
スタンダードに夢中になったのもこの頃でした。
それでも、パーティに行けばラテンアメリカンの曲がかかるし・・・・
ジーっト・・・・・我慢の子。
とても可愛い我が儘な子?でした。
もっぱらスタンダードばかり踊っていました。
サークルでは前半ラテンアメリカン、
後半スタンダード。
ラテンアメリカンやらない訳にはいかない・・・。
毎回、渋々としょうがなくやった。
サンバ・パソ・チャチャチャ・ルンバと毎年やりました。
でもちゃんと理解出来ないと覚えようとしない性格のせいか、
基本が出来てないと覚えようとしない・・・。
誤魔化し誤魔化し毎年踊りました。
スタンダードは真面目に頑張りましたよ。
半年ぐらいサークルのレッスンに行けなかった時には、
パーティの前に2回のリハーサルで、ワルツを3人の人と踊りました。
ワルツやタンゴでは、ぶつけ本番でもどうにかなりますが、
この時はOO統一ルンバをやってましたので、
「ルンバ踊れと言う事なら、スタンダードもやりません」
と我が儘な生徒でした。
それでも、毎年毎年と楽しませて頂きました。
ただ・・・、1年掛けて仕上げるラテンアメリカンですが、
パーティで発表するとそれ以降4年は踊りません。
つまり、すっかり忘れてしまいます。
もっとも3ヶ月もやらないと忘れますが。
ラテンアメリカン覚えたはずが、やはり基本が気になり身につかない。
はて・・さて・・・、何時になったら、ラテンアメリカン人前で踊れるのだろうか。
続く・・・・。